名古屋市が定めた設計条件は実現可能か?
名古屋城天守木造化の事業者募集において、名古屋市は「技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募型プロポーザル」を実施している。その中で「公募型プロポーザル業務要求水準書」というものを示している。
これは、名古屋市が公費で行う事業について「こういった基準で行ってくださいよ」という条件を示したものだ。
これは、名古屋市が公費で行う事業について「こういった基準で行ってくださいよ」という条件を示したものだ。
「第2節.主な設計条件 」の中の「⑤ 建築基準法」に次のような「要求」が記載されている。
「建築基準法第 3 条第 1 項第四号による認定を条件とする」
今回作成される木造天守閣は
「建築基準法第 3 条第 1 項第四号」に適合し、認定されなければならない。
では、同条項とはどのようなものか、引いてみよう。
「建築基準法第 3 条第 1 項第四号による認定を条件とする」
今回作成される木造天守閣は
「建築基準法第 3 条第 1 項第四号」に適合し、認定されなければならない。
では、同条項とはどのようなものか、引いてみよう。
建築基準法第 3 条第 1 項
(適用の除外)
第三条 この法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定は、次の各号のいずれかに該当する建築物については、適用しない。
一 文化財保護法 (昭和二十五年法律第二百十四号)の規定によつて国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財、特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物
二 旧重要美術品等の保存に関する法律(昭和八年法律第四十三号)の規定によつて重要美術品等として認定された建築物
三 文化財保護法第百八十二条第二項 の条例その他の条例の定めるところにより現状変更の規制及び保存のための措置が講じられている建築物(次号において「保存建築物」という。)であつて、特定行政庁が建築審査会の同意を得て指定したもの
四 第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの
「四」号には次のように定められている。
「第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの」
つまり、第一号か第二号に掲げられている建築物であって、その原形の再現を企図したものであると認められるように謳っている。
さて、では今回、復元される名古屋城天守は、この条件に当てはまるのだろうか。
第一号の条文を見てみよう。
「文化財保護法 (昭和二十五年法律第二百十四号)の規定によつて国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財、特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物」
残念ながらオリジナルの名古屋城は昭和二十年の空襲によって焼失している。
名古屋城は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝とされており、国宝保存法は文化財保護法に引き継がれているので、焼け残っていれば国宝としてこの条項に適合するだろうが、焼失とともに失われたのであって、この条項には当てはまらない。当然、文化財保護法は「名古屋城天守」について何も言及していない。
逆に、文化財保護法では名古屋城跡は「特別史跡」に指定されている。「特別史跡」の意義は「次に掲げるもの(2.城跡)のうち我が国の歴史の正しい理解のために欠くことができず、かつ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術上価値あるもの」としている。当然、名古屋城天守が失われた名古屋大空襲も「我が国の歴史」であり、それによって天守が焼失したというのは「正しい理解のために欠くことができ」ない事実である。さらに、その後、市民の声と浄財によって焼失されない鉄筋のレプリカ天守が再建されたことも、歴史的事実である。これらを踏まえて全てが歴史的遺構と考えるべきなのではないだろうか。(大阪城の例を参考にすれば、鉄筋コンクリート造りの現天守は、後8年ほどで有形文化財とされる可能性がある)
さて、第一号には適合されない。では、第二号に適合するのだろうか?
「旧重要美術品等の保存に関する法律(昭和八年法律第四十三号)の規定によつて重要美術品等として認定された建築物」
上で述べたようにオリジナルの旧名古屋城天守閣は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝として認定されていたのであって、この条項にもあたらない。
「第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの」
つまり、第一号か第二号に掲げられている建築物であって、その原形の再現を企図したものであると認められるように謳っている。
さて、では今回、復元される名古屋城天守は、この条件に当てはまるのだろうか。
第一号の条文を見てみよう。
「文化財保護法 (昭和二十五年法律第二百十四号)の規定によつて国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財、特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物」
残念ながらオリジナルの名古屋城は昭和二十年の空襲によって焼失している。
名古屋城は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝とされており、国宝保存法は文化財保護法に引き継がれているので、焼け残っていれば国宝としてこの条項に適合するだろうが、焼失とともに失われたのであって、この条項には当てはまらない。当然、文化財保護法は「名古屋城天守」について何も言及していない。
逆に、文化財保護法では名古屋城跡は「特別史跡」に指定されている。「特別史跡」の意義は「次に掲げるもの(2.城跡)のうち我が国の歴史の正しい理解のために欠くことができず、かつ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術上価値あるもの」としている。当然、名古屋城天守が失われた名古屋大空襲も「我が国の歴史」であり、それによって天守が焼失したというのは「正しい理解のために欠くことができ」ない事実である。さらに、その後、市民の声と浄財によって焼失されない鉄筋のレプリカ天守が再建されたことも、歴史的事実である。これらを踏まえて全てが歴史的遺構と考えるべきなのではないだろうか。(大阪城の例を参考にすれば、鉄筋コンクリート造りの現天守は、後8年ほどで有形文化財とされる可能性がある)
さて、第一号には適合されない。では、第二号に適合するのだろうか?
「旧重要美術品等の保存に関する法律(昭和八年法律第四十三号)の規定によつて重要美術品等として認定された建築物」
上で述べたようにオリジナルの旧名古屋城天守閣は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝として認定されていたのであって、この条項にもあたらない。